経済は感情で動く
先入観という魔物。
私たちの頭は、当てにならない。
私たちが選択する場合には、ある事柄の確率と評価をもとに。
そして、合理的に判断していると思っている。
例えば、オフィスを移転するとする。
築年数や建築方法から、耐久年数の確率がわかる。
そのオフィスの管理は、テナント評価がある。
賃料が破格だ・・・掘り出し物とも言えるが、事故物件の可能性もある。。。
つまり、そこには【不確実性とリスク】が存在している。
だから、考える・・・考えているつもり。
情報の全てを分析出来ない。
確率の計算を瞬時には行えない。
私たちは、「思考の早道」を通ることとなる。
迷路に迷うよりも、いち早く判断したい。
先ほどのオフィスの件。
管理会社に確認する、「なぜ賃料が安いのか?」
回答は、釈然としないが、事故物件ではないという。
期限が迫る・・・前契約者への確認も行った。
どうなったか・・・契約。
正しい判断だったかどうかは、わからない。
ヒューリスティクス。
こう呼ばれている判断方法は、直感的に素早く解に到達すると言われる。
しかし、合理的でなく、非合理判断も行ってしまう。
この判断には、バイアス(偏り)があるとされている。
ヒューリスティクスの代表的例。
- 代表性(典型性)
- 利用可能性
- 小数の法則
- 平均値への回帰
- 後知恵
- 錯覚
代表性は、典型的に考えるステレオタイプ。
図書館で働く人を思う浮かべてほしい。
その身なりは、地味か派手か。
筋骨隆々か。
坊主頭か。
派手で筋骨隆々で、坊主頭の図書館員は、想像し難い。
利用可能性は、話題性。
メディアで、○○がダイエットに効果的。
雑誌にも特集が組まれる。
そして、ネットでは成功者が続々・・・。
○○が、スーパーの棚から消え失せ、ネットでも完売になることは容易に想像できる。
理論と確率を考えてみれば、〇〇だけで劇的にダイエットできるはずもないことは明白。
小数の法則は、期待値。
統計サンプルが少なくても、一般化されたものとして、認識してしまう。
予測できると思ってしまう。
サイコロを振る、2回続けて「6」。
次が目は、「6」ではないと思う。
たった、2回で。
新商品の開発では、よくある話。
モニターで、既存顧客で、高評価。
満を持して、販売開始するも、不発。
市場や商圏内から、適切なモニター数やサンプリングはわかるはず。
平均値への回帰は、自己一般化。
自分なりにルールを見つけたつもりで、予測していると盲信する。
平均値の回帰を無視して。
ヒット商品の仕掛け人。
業界では、よく聞く肩書だ。
平均確率が、30%だとする。
素晴らしい成果だ。
しかし、平均値であることを忘れてはならない。
平均的に、70%は失敗するのだから。
後知恵は、誰しも思い当たるはず。
何かに、どこかに理由をつけて、合理的だと主張してしまう。
つまり、自己正当化。
選択は、確率と評価の上で理論を理解し、分析、計算の上で・・・とはならない。
錯覚は、目の錯覚が代表的であるが、認知の錯覚がある。
資格業は、専門家だと誰もが思っている。
しかし、専門家にもレベルがある。
経験も実績も異なるはずなので、知らない専門家の意見をなぜ、信じられるのだろうか。
本書では、非合理こそが人間らしく面白いとしている、確かにその通り。
私たちは【思考の早道】を見つけ、自分が感じたまま、思ったままで、選択する。
売り手は、顧客の先入観を理解しておくべき。
第一印象、店舗内装、ホームページ、名刺・・・。
ビジネスにかかわる人・モノ・情報の全ては、先入観で見られている。
先入観を理解して、奇をてらう方法もあるが、その際には、話題や期待が添わなければ、選択されにくいとなる可能性大。
最終的には、【非合理に判断される】ことを知り、その非合理を用意しておくことが必要。